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セレンディピティーと私のゴルフ

 セレンディピティー(Serendipity)という言葉がある。あまり一般的に使われないので、ご存知の方は少ないかもしれない。研究社の英和辞典には、偶然に珍しい宝物を見つけるというおとぎ話の題名(The Three Princes of Serendip)から作られた造語で、「当てにしていない(いい)ものを偶然見つけだす才能」と記載されている。この言葉が、科学の分野での発見、発明を表現するのに使われることがある。皆さんが良くご存知のレントゲンのX線の発見や、フレミングのペニシリンの発見がその典型例である。

  このような大きな発見でなくても、研究者が研究活動を通じて何か新しいことを発見するのに偶然が伴うことが多い。ある研究者は試薬を間違えて、ある研究者は突然の停電で、ある研究者は片づけるのが面倒で反応物をそのまま置いておいて何かを発見するという極端な例から、偶然にいつもと違う実験結果が出たことや、たまたま目を通していた他分野の報告例に思い当たることがあったことから端を発して発見に結びつくことなどがある。

  これらの例は、ただし、単に運が良かったと片づけてはいけないというのが本稿の趣旨である。まず第一に、日頃からこつこつと努力していなければこのような偶然に遭遇するチャンスがないと言うことであり、第二に、偶然にも大発見の兆しがあったときにそれに気が付き、それをものにする才能を持ち合わせていなければならないということである。単に偶然を期待してめちゃくちゃしていれば良いということではない。 第二についてはもって生まれた才能に多分の運が味方することもあろう。数多くのチャンスがあれば運が味方するチャンスも増える。だからこそ、数多くのチャンスを生むための日頃の努力が大切なのである。 この言葉は、営業の仕事や他の仕事にももちろん当てはまる。日ごろの努力が、ひょんなところで実を結び、ビッグチャンスをものにすることは珍しいことではない。 ここまで書いてきてふと気が付いた。恋人が偶然にできることもよくあることではないか(経験がないのでよく分からないが)。これにも日ごろの努力が味方するのであろうか。

  Serendipityという言葉には当てはまらないかもしれないが、私にもこれに類した貴重な経験がある。ゴルフを始めて間もない頃、豪快な打ちっ放しのできるチチヤスゴルフ練習場で手に豆しながら、いくら工夫して打ってもスライスするボールを見つめている時ふと頭によぎったことがあった。それは、初めて私がスキーに行った時、うまくボーゲンが出来ない我々の前で、インストラクターが「簡単だよ、左に曲がりたければ頭を右に倒せばいいんだ」と言い、頭を左右の肩の方向に倒しては右左へ曲がるのを見せられた光景であった。練習場での私はもうすっかり思考力を無くしていたし、ヤケにもなっていた。そして、スキー場での光景を思い出すがままに、ゴルフボールを打つ瞬間に無理矢理頭を右に倒してみた。するとどうだろう、ボールは信じられないほど真っ直ぐ飛んでいくではないか。もう何冊ものテキストや先輩方の教えはどうでも良かった。その日の内に頭を倒さなくても真っ直ぐ飛ばすこつを覚えた私は、照明に照らされながら夜空に舞い上がる我がボールを何度も何度も感動の眼差しで追いかけたのであった。

  たかがゴルフのスライス改善ではあったが、この経験は妙に私の体に残っていて、局面を打開するために、視点を変えてみる、とにかくやってみるといった行動が要求されるとき、いつもこの時のことを思い出し力付けられるのである。Serendipityから意外な方向に話は進んでしまったが、意外性を大切にという落ちを付けて本稿を終えることにしたい。

 (追って)  オードリーヘップバーン主演の「パリで一緒に」という映画で、共演のウイリアムホールデンがSELENDIPITYの言葉の意味をヘップバーンに教える場面があり、そのときは、「どんなに偶然な出来事に出会っても、楽観的にとらえ対処する」と言うような説明をしていた。ヘップバーン演ずるアメリカ女性もこの言葉を知らなかったことに興味を覚えたので追記する。


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